奈良から平安時代の氷上郡の謎に迫った春日歴史民俗資料館で開催中の展示会「古代氷上郡の役所と村」がおもしろい。


奈良から平安時代の氷上郡の謎に迫った春日歴史民俗資料館で開催中の展示会「古代氷上郡の役所と村」がおもしろい。加古川と由良川の2つの水系で東西に行政的に二分された当時の氷上郡では、西に本所、東に支所が置かれたという。▼本所の関連施設とみられる市辺遺跡は、加古川の舟運を利用した物資の集荷場と考えられ、支所に関連する七日市遺跡にも船着き場とみられる遺構があった。竹田川の支流に手を加えて運河を造り、船着き場で荷物の上げ下ろしをしたようだ。▼瀬戸内海と日本海に注ぐ2つの水系を持つ氷上郡の地勢が行政にも反映され、加古川水系に本所、由良川水系に支所という効率的な行政システムをとっていた。先人の知恵に感心するとともに、川や舟運が地域にとっていかに大きな要素であったかがわかる。▼近世になっても、加古川は氷上郡の動脈だった。氷上町本郷から高砂まで全長50キロに及ぶルートが結ばれ、米や木材、炭などが加古川を下り、塩や海産物などが川を上った。ときの天皇から「日本一の石工」と賞賛された丹波佐吉が作った柏原八幡神社の狛犬も、高砂から高瀬舟で運ばれてきた。▼川は物資を運び、文化も運んだ。内陸部にありながら南北に通じた2つの水系を持つ氷上郡。その礎には、川が大きくかかわっていることを再認識した。(Y)