篠山市人権・同和教育研究協議会が「篠山市&朝鮮半島交流史」という研究報告書を発行した。


篠山市人権・同和教育研究協議会が「篠山市&朝鮮半島交流史」という研究報告書を発行した。古代から現代まで多方面の資料を駆使したゆきとどいた内容に感銘を受けた。▼江戸時代、朝鮮から和学を学びに京都に来ていた「朴子述」という人が、交際のあった文人の案内で大山村の酒造家、俳人の西尾武陵宅を訪れ、鐘ヶ坂などに遊んだ際の詩を残している話など、興味は尽きない。▼日本の植民地と化した近代には、多くの人がマンガン鉱山などの労働者として連れて来られた。貧しい生活に追われて犯罪に走ると、新聞が差別的な呼び方で書き立てた。一方、日中戦争が始まると「内鮮一体」という国策のもと、「模範的な朝鮮人」といった記事にとり代わるようになった。▼丹波新聞ほか当時いくつかあった地元紙の記事を丹念に調べ、こうした傾向を浮き彫りにしている。小紙も、現在より相当遅れた人権感覚の時代の紙面をさらすのに躊躇を感じなくはなかったが、冷静かつ客観的な分析がされたと思う。▼戦後も篠山に出来た朝鮮人学校や篠山小学校の民族学級の動向、また定住した在日コリアンたちからの聞き書き、そして「外国人の住みやすいまちづくり」への展望に至る。地方の小さな町でこれほど国際感覚に優れた書が作られたのは、全国でも稀有なことではなかろうか。(E)