「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」(方丈記)。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」(方丈記)。川は絶えることなく流れており、そこにある水はもとの水ではない。川の水だけではなく、万物は絶えず生まれ変わっていく。そんな生々流転に、もののあわれを感じるのは日本人としての遺伝子なのだろうか。▼そんな遺伝子ゆえか、季節の巡りにも愛惜を感じる。たとえば、西山泊雲の句「冴え返り冴え返りつつ春なかば」。寒気に震えながら、着実に近づく春に思いを寄せる。泊雲の師、虚子には「土近く朝顔咲くや今朝の秋」という句がある。朝、肌に感じる風がもはや夏のものとは思えない。こんな今ごろの朝の感じを表したのが「今朝の秋」という言葉らしい。▼これらの句に見るように、日本人は一般に、季節の盛りよりも季節の変わり目にひかれるそうだ。盛りが過ぎ、次第に弱まっていく季節と、そろそろと生まれ出ようとしている新しい季節。そんな移り変わりにも生々流転を感じる。▼「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という歌がある。近づく秋の気配が目に見えなかったのは、遠い昔のこと。子を持つ親はこの時期、いやおうなしに秋の到来を痛感させられる。▼夏休みの宿題の追い上げに必死の子どもを通じて、夏の終わりを知る。我が家もすぐそこに秋が来た。(Y)