先日83歳で亡くなった余田貞雄さん(丹波市市島町出身、富田林市)は

2006.12.27
丹波春秋

先日83歳で亡くなった余田貞雄さん(丹波市市島町出身、富田林市)は、丹波・但馬出身の歴史的な人物にかけては、まず右に出る者がいないほどの『生き字引』だった。▼作家になる夢は果たせなかったが、宗教関係紙の記者などを経て始めたのが、丹波、但馬の歴史・人物研究の成果を披瀝した、年数回刊の新聞「丹但人」。50年近く一人で発行し続け、筆者の手元にある最終の「平成18年春季」号まで142号を数えた。▼足利尊氏時代の丹波の豪族に始まり、田捨女、関東軍司令官の本庄大将、また近年に至る全国に名を馳せた人達が独自の資料を添えて縦横無尽に登場。同時代の少なからぬ人と直接親交を持っていた。関西丹波市郷友会、大阪丹波友の会、関西多紀郷友会のほか但馬人会、綾部会、大江会など数々の出身者の集まりに顔を出し、世話役を務めた。▼淡々として物静か、けれん味のない人で、それでいて筋の通ったことをずけずけと言う。丹但人141号に載った柏原出身の江戸期の医者、田周二の言葉、「身は低く心は貴く、外面はにこにこと笑い、しかし心は堅固に世間に交わり…怪力を語らず」を地でいくようだった。▼昨秋、病院に見舞いに行きロビーでお会いした顔は結構元気で、しかし別れ際、心なし名残惜しそうだったのが最後となった。ご冥福を祈る。(E)

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