高校時代、全校集会にひとり参加しないときがあった。

2006.12.27
丹波春秋

高校時代、全校集会にひとり参加しないときがあった。グラウンドに整然と並んだ全校生徒を、2階の教室の窓からながめ、心の中で中原中也の詩を唱えた。「出てくるわ出てくるわ 大きいビルの真っ黒い、小っちゃな小っちゃな出入口」。集団行動に抵抗を感じる自分を気に入っていた。▼高校時代の面影が消えた今は、そんな若さゆえの気取りも失せ、小さな出入り口に群がる大群のひとりになった。自然とこの詩も忘れていたが、久しぶりに思い出した。不登校などについて語り合うパネル討議に出たからだ。▼再び学校に行くようになることだけが不登校の出口ではなく、さまざまな出口があっていい。そのことがパネル討議で繰り返し指摘された。それは、子どもは学校に行くのが当たり前とする価値観の転換を迫るものだ。▼もし我が子が不登校になれば、とまどうと思う。何とか学校に行かそうと、あせるだろう。でも、子どもの防衛本能が不登校を選ばせたのだとすれば、学校に押し戻すことが解決になるのか。学校に戻るという「小っちゃな出入口」しか、不登校の子の前にないとすれば、子どもは救われるのか。そうも思う。▼学校に行く大多数と同じでなく、不登校という道を選択してもいい。そんなふうに「大きな出入口」を整えてやりたい。(Y)

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