広島平和記念資料館

2007.01.29
未―コラム記者ノート

 社員研修旅行で広島に行ってきた。泊まった宿が、原爆ドームの目の前にあり、予定にはなかった広島平和記念資料館見学が、急きょ日程に加わった。 子どもの頃、青垣町民センターで毎年、原爆のパネル展が開かれていた。白黒写真を引き伸したパネルには、熱線でやけどを負った人の悲惨な姿が何枚も写されていた。学校で見学に連れていかれたが、怖くて正視できなかった。以来、「原爆は言い様のない恐ろしいもの」という思いが、体に染み付いており、資料館に入るのは気が重かった。 いざ入ると、随分洗練された展示で、「怖い」という印象はほとんど持たなかった。模擬爆弾を使って原爆投下の予行練習をしていたこと、原爆を投下する何カ月か前から意図的に広島空襲をやめていたこと、連合国の捕りょがいないと考え、広島を選んだことなど、初めて知ることが多くあった。 何年か前の展示替えの際に「生々しさ」をずいぶん抑えたそうだ。悲惨さが過ぎると、目をそむけられる。しかし、伝え続けなければならない。大切なことをどう伝えるか、多くの史実とあわせ、「伝えていくことの難しさ」を学んだ。(足立智和)

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