他生の縁


 「昭和の日」の4月29日号本欄にYが昭和の人情について書いたが、その尻馬に乗って。大学1年の37年秋、放浪とまではいかないが、一人で1週間の無銭旅行に出かけた。▼寮があった姫路から紀伊半島を一周し、名古屋に出て柏原まで、およそ大阪―下関間くらいの距離をヒッチの車ばかり30台乗り継いで、運賃を払ったのは大阪市電と瀞八丁の観光プロペラ船だけだった。▼1泊目は和歌浦の寺。翌朝、お握りに自家製の香りの良い丸薬を添えて送り出された。2泊目の白浜の小学校では、教頭らしき先生が迷惑顔ながら「私は見てませんから」と、体育館の軒先を貸して下さった。▼そして3泊目の新宮は、久下さんというトラック運転手から「丹波ならわしのルーツや。今夜はうちで泊まり」と言われ、奥さんも少しも嫌な顔をせず迎えて下さった。そのほか、「慶応のワグネルソサエティOB」というスマートな青年実業家の快適な車や、当時人気のミゼットという小型三輪車にもお世話になった。4泊目、尾鷲駅の待合室で同宿したチンピラ風の兄さんの顔まで、昨日のことのように思い出す。まことに「他生の縁」、国鉄も大らかだった。▼今ではヒッチハイカーも少なくなった。手をあげられれば停まるが、やはり正直、警戒感が先立つ。昭和は四十年代初めまで、確かに良かった。(E)