身なり


 大金持ちの家の葬儀に導師の依頼を受けた一休さんが、破れ衣を着てその家に出かけ、布施を求めた。すると主人は「薄汚い坊主だ」と追い払った。葬儀の日、金襴(きんらん)の袈裟をつけ、家におもむくと、大変なもてなしよう。▼読経のあとのご馳走に、一休は「このご馳走は金襴の袈裟がいただくもの」と、脱いだ袈裟をお膳の前に置いたという。一休さんらしい逸話だが、ちょっと人が悪い。人は、身なりで判断することは先刻承知なのだから。▼私たちは、人を理解するとき、その人が発した言葉だけでなく、話し方や服装、視線、表情、しぐさなど、あらゆるものを判断の材料にする。それは、裏を返せば、自分がどのように相手に判断されるかも、自分の話し方や服装などが材料になるということだ。▼ときに自分の身なりやしぐさなどが相手に不快感を与えることもある。自分にはそんな気はさらさらないといっても始まらない。その人が発するあらゆるものから、他者はその人の考えや性格などを読み取るものなのだから。▼篠山市議会の議長が、本会議や常任委員会における市職員の身なりなどを改善してほしいと、市に求めたという。なんでも本会議にスニーカーで入場した部長らがいたらしい。スニーカーだって意味を発する、ということだ。 (Y)