水の民


 「古池やかわず飛びこむ水の音」。誰しもが知っている芭蕉の句だ。では、なぜ誰もが知っているのか。評論家の森本哲郎氏は、「日本人は“水の民”」だからだという(『日本語・表と裏』)。続けてこうも言う。「日本人は水の音に限りない親しみを抱き、安らぎを覚え、懐かしさを感じる」。▼水の民だからだろう、「天災は忘れた頃にやって来る」の言葉で知られる寺田寅彦は、雨の降り方にさまざまな表現がある点で日本はおそらく世界中随一であろうとした。春雨、五月雨、時雨などがすぐに浮かぶが、ほかにもさまざまな言葉がある。▼秋雨もその一つだが、この言葉は古くにはなく、江戸時代中ごろ、「春雨」に対する言葉として生まれたという。時の文人たちは、秋雨という言葉の出現に眉をひそめたらしいが、立派に市民権を得た。雨の表現が豊富な文化であることの証明とも言える。▼現代にも新たな表現が生まれた。2008年の新語・流行語大賞に選ばれたゲリラ豪雨だ。それほどに局地的な豪雨が目立つようになった。今、雨と言えば、春雨や五月雨のような情感のある言葉よりも、局地的豪雨や集中豪雨という言葉が真っ先に浮かぶのではないか。▼水の民であることに変わりはなくても、雨の音に心が穏やかになるよりも、不安や恐怖を感じる今は、悲しき水の民だ。(Y)