江戸期の篠山産黒大豆 生産高は「45」 島原さんが文書解読


 篠山市を代表する特産・丹波黒大豆。「将軍様に献上したこともある」として語り継がれているものの、実際、江戸時代にどれほど栽培されていたかなどはわかっていなかったが、黒大豆の研究に取り組んでいる元県職員の島原作夫さん(68)=姫路市=が、当時の豪農が生産高などを記した文書を発見し、解読に成功した。生産高は45(昨年は640)と判明したほか、栽培拡大や江戸での販路開拓、さらには長崎に出荷し、唐物(中国製品)との引き換えなど、「国益」を生む具体的な方策も記述。いかにして先人が丹波黒大豆を特産化していったかが垣間見える。

 史料は、大山宮の豪農・園田庄十左衛門が篠山藩からの求めに応じて文政元年(1818)に作成した「乍恐奉内願口上覚(おそれながらないがんたてまつりこうじょうおぼえ)」。現在は関西大学博物館が所蔵する「園田家文書」の一部だ。

 島原さんが現代語訳した文書によると、当時の篠山藩領内の黒大豆生産高は1組(複数の村からなる組織)あたり平均15石とし、全体では300石(1石は150)と書かれている。このことから20組があったことがわかり、藩内全域で栽培されていたことがうかがえる。

 また、小粒のものは商売にならず、実際に売れる大粒のものは半分の150石ともある。

 十左衛門は、江戸で篠山藩の特産とするためには、「売り先が広がれば、300石では不足するため、白大豆の栽培から黒大豆に切り替えるよう藩が指示し、黒大豆で年貢を納める場合は白大豆の2割引にしてはどうか」「必要な量が集まるまでは、他国への流通を留めることはできないか」などと提案している。