老いと円熟


 柏原出身の日本舞踊家、西祥さんの舞踊公演が9月24日、丹波の森公苑ホールで催される。これまでの公演と同様に今回も、あでやかで美しい舞いが披露されることだろう。

 舞踊生活70年と聞く。実年齢は存じ上げないが、決して若くない。しかし、世阿弥は「老骨に残りし花」と言った。老いには、余分なものをそぎ落とした一輪の花の美しさがある。世阿弥は、気力も体力も充実した青年期や壮年期に芸が完成するわけではなく、老いてこそ芸は完成に近づくとした。

 円熟という言葉を思う。円熟の裏には相応の時間がある。短日月に仕上がった芸は、目を見張るものがあったとしても円熟とは言わない。たゆまず、ひたむきに精進を重ねた歳月の流れがあってこその円熟である。円熟の境地に達するのは老年になってからと言える。

 75歳で「富嶽百景」の初編を刊行した葛飾北斎は、その跋文に、70歳前までの作品にいいものはないと書いた。73歳になってようやく鳥獣の骨格や草木のことが悟れるようになったといい、90歳で奥意をきわめ、百歳で神技に入れるだろうとした。まさに円熟の要諦である。

 日本の芸能の研究家でもある白洲正子は、「人間は老人になればなるほど美しくなっていいはずです」と書いた。円熟の美に他ならない。あすは「敬老の日」。(Y)