一片の紙

2018.03.01
丹波春秋

 書家の藤原ひさ子さん(神奈川在)の山南町の実家の仏壇奥から、古ぼけた手紙の束が見つかった。

50年前に亡くなった大伯母、橋間キヌさんが秘かにしまっていたらしく、うち1通は粗末な紙に手書きした「戦時死亡者の件通牒」。

 昭和19年6月に長男、直治少尉が中国で戦死したことを現地部隊と、取り次いだ役場から届いた「右肩胛下部穿透性盲管銃創ヲ受ケ壮烈ナル戦死」という事務的な書面だった。

 隊友から後日届いた報告には、「偵察の任務を終えた帰路、重機関銃の銃撃に屈した。愛児を亡くさせ、如何にお詫び申し上げるべきか」とあり、生前の直治さんの手紙には、送ってもらった氷砂糖や干し柿への礼状もあった。

 戦後、直治さんの従妹(ひさ子さんの母)を養女にしたキヌさんと、ひさ子さんは高校まで共に過ごしたが、20歳代で戦場に散った直治さんのことは一言も聞いたことがなかったという。一片の紙に閉じ込められた見知らぬ従兄伯父の死に向かい、ひさ子さんは涙を止めることが出来なかった。

 「この思いを何とか」と、郷友の歌人、原谷洋美さん(東京在)に託した歌60余首を書にしたため、柏原の厄神さんに開いた共同展に出展した。「記入して返送せよと切取線切りたる母は慟哭も切る」。凛としてたおやかな文字が流れていた。(E)

関連記事