雛祭りと森友

2018.03.17
丹波春秋

 ある識者がかつて「日本人は、平和と水はただで手に入ると思っている」と言った。

この識者の言わんとするところと文脈は異なるが、日本人は平和を享受するために水を利用しているところがある。ごたごたを引きずり、対立を深めないよう「水に流す」という知恵を心得ているのだ。

 墓参りをしたときに、墓石に水をかける。これは一説によると、死者を慰めるためであり、水には浄化力があると信じられているからだという。さしずめ水の浄化力でもめごとを清算しようというのが、水に流すなのだろう。

 今、丹波地方で「雛祭り」のイベントが盛んだが、民俗学の本によると、もともと雛人形は飾るものでなく、川に流すものだった。現在のようなスタイルが生まれたのは江戸時代初期からで、雛人形のもとをたどれば、保管して毎年飾るものではなかった。それよりも、早く自分のもとから離れてほしい疫病神にも似た存在だったようだ。

 人間がつくった罪や災厄を人形(ひとがた)に移し、川に流して無事を祈る。そんな「雛流し」が本来であり、平安時代の貴族たちは3月はじめの巳の日、紙で作った人形を川に流す行事をしていた。

 雛祭りの季節に再燃した森友学園問題。災厄のように思っている渦中の関係者もいようが、人形のように水に流すわけにはいかない。(Y)

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