職住の一致

2018.07.01
丹波春秋未―コラム

 地元企業で働く人を、その職場で取材することがある。記事として必要な場合、住んでいる地域を聞く。どこそこの地域と聞いて、取材を離れた話題に及ぶことがある。

 「その集落には私の高校時代の同級生がいます」「その人は私のいとこです」。こんなキャッチボールを交わすことがある。田舎の狭い人間関係に感嘆し、あきれると同時にくだけた雰囲気になる。当方も取材相手もともに、働く所も住む所も同じ丹波。それぞれ職住が一致しているから、こんな会話が成立する。

 大阪北部地震が起きた。地震の発生などで交通機関がマヒしたため、帰宅するのに難渋し混乱している人々の様子を伝える報道に接すると、鷲田清一氏の指摘を思い起こす。

 「電車が止まったら家に帰れないところで働くことがそもそもおかしいのではないか。もっと言うと、お昼にご飯を家に食べに帰れないような就労形態じたいがおかしいのではないか」。職住の極端な不一致は、住民がその住んでいる地域でそれぞれ緊密に役割を分担することを困難にし、地域社会を成り立ちにくくするというのだ。

 職住一致の度合いが強い地域では、人間関係が濃密になりやすく、息苦しい点もある。しかし、どちらが人の暮らしに合っているのか。そもそも地域とは何か。一考するのもいい。(Y)

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