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謎の陸軍グライダー訓練所 証言もとに実像に迫る/兵庫・丹波市

「柏原高校百年史」に掲載されている赤井野グライダー場での訓練風景。操縦席で右手で操縦桿、左手で機体を握っているのが見える。

 太平洋戦争中、兵庫県丹波市氷上町新郷の「赤井野原野」にあった陸軍のグライダー(滑空機)訓練所。残された資料は少なく、謎が多い訓練所となっている。往時を知る人の証言などをもとにその実像に迫る。

グライダーは木製、布の翼

 地元の「柏原高校百年史」には、赤井野訓練所で撮影したグライダーの写真が掲載されている。この機体は、初級者向けのプライマリー機「文部省型1式」と見られる。翼の全幅10・3メートル、全長5・5メートル、全高2・3メートルほど。重量は90キロ。

 赤井野のすぐ近くに住んでおり、毎日のように見学に通っていた森島保男さん(85)は、12歳頃まで訓練を間近に見ていた。「機体の骨は木製。翼は布で、シンナーか何かでといて塗料を塗っていた」と言う。家の柱より細いくらいの骨の上に1人用の座席があり、右手で操縦桿を握り、左右の足で機体後部の方向舵を動かす。体はむき出しでベルトで固定、左手はつり革を握るように機体の骨組みを握る。

 ゴムで、「パチンコ」の要領で機体を飛ばす。細いゴムひもを百数十本束ね直径3センチほどにし布で巻きロープ状にする。機体を起点に、20人弱で「イチ、ニ」の掛け声をかけながら、V字型になるように2方向に引っ張る。機体は、後部がロープで杭に固定されており、教官の「放せ」の号令でロープを放すとゴムが縮み機体が前方に押し出される。機体の底は「そり」状で、土の上を滑って胴体着陸する。「あれは飛ぶというより、浮く、の方が近い。地面をすべるのが一番多く、浮いても20センチほど。3―5メートル上空を飛べば上等」。

 機体が傷むと、修理専門の職員が「鉄がないから板をはってのりで止めていた」。破損させた訓練生がひどく怒られているのを見たことがあるという。

胴体着陸「すごい衝撃」

 訓練所では教官の養成もしており、ゴルフ場を挟んだ向かいの山、中級より標高が高い尾根を切り開いて作った平地から飛ぶ。「50メートル上空で8の字飛行ができたら教官合格と聞いた。実際は、教官試験どころか、中級ですらほとんど飛んでいるのを見た覚えがない」。

 森島さんは、訓練所の責任者だった教官に、一度だけ乗せてもらい、上空を舞ったことがある。その時の事を「あちこちぶつけて痛かった、くらいしか覚えていない」と言う。

 教官の機体は初級者用のものとは違い、操縦席全体が覆われていた。大人が座って首から上が出るくらい覆いは高く、教官の背後に座っていた森島さんは「一切景色が見えなかった」。胴体着陸時の衝撃で、狭い操縦席の中で体中をぶつけただけで、「楽しくはなかった」と振り返る。

訓練所で陸軍実弾演習も

 森島さんは、陸軍が赤井野で実弾演習するのを目撃した。「野砲」を撃つ本格的なもので1泊2日で演習に訪れ、同町新郷の公民館などに泊まっていたという。

 森島さんは、グライダー場が整備される様子を見た記憶もある。学生や女性が集まり、学校から供出した綱引きの綱を松の巨木にくくりつけ、何十人もかかって引き倒していた。「根が残ってはいけないので伐採でなく、抜いていた」。ただ、それを見た時期がはっきりしない。

 戦後の開発で赤井野の大部分はゴルフ場になり、戦後しばらくは残っていた寄宿舎跡も植林された林に沈んだ。痕跡を探すのは難しくなり、当時を知る人も少なくなった。「今では考えられないような事に若者が命がけで取り組んでいた。私のおぼろげな記憶が、何かの役に立てば」と静かに話した。

森島さんの義父が持っていた2葉の写真のうちの1枚。ほとんどの生徒がそろいのバッジをつけている。撮影日は不明。
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