檜皮葺

2018.10.14
丹波春秋未―コラム

 「宮大工にとりますと、木ゆうたら檜(ひのき)ですがな。檜という木があったから、法隆寺が千三百年たった今も残ってるんです。檜という木がいかにすぐれていたか昔の人はすでに知っておったんですわな」。宮大工として名をはせた西岡常一氏の言葉だ。

 『日本書紀』にも檜について記されている。スサノオノミコトが胸毛をまくと、檜が生え、「宮殿建築には檜を使え」と言ったという。西岡氏によると、この伝承に従って伽藍は檜で造られてきたそうだ。

 すぐれた材である檜。先人たちは、余すことなく檜を生かし、その皮を屋根に用いた。寺や神社の屋根に見られる檜皮(ひわだ)葺だ。日本固有の技法であり、我が国の誇る文化でもある檜皮葺。それが私たちの地元、山南町に脈々と引き継がれている。

 山南町の上久下地区ではかつて「上久下経済の花形」とも言われるほど、檜皮葺が盛んだった。最盛期には、職人が上久下だけで100人を超えたという。高度成長期に職人は激減したが、関係者の尽力で職人が増加。このほど国指定重要文化財になった同町の高座神社の屋根も、地元の職人の手で葺き替えられた。

 『枕草子』に、「檜皮葺の屋根に雪がつもって、ところどころ消え残った姿には風情が感じられる」とある。雪の頃、高座神社を訪ねてみようかと思う。(Y)

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