芋銭と泊雲

2018.10.21
丹波春秋未―コラム

 「仙人のよう」と言われた画家がいた。河童をよく描き、“河童の芋銭(うせん)”との異名をとった小川芋銭である。芋銭とは奇妙な画号だが、「芋が買える程度のお金があればいい」という意味合い。画号の通り、無欲で高潔な人柄だった。

 後年、芋銭と知り合い、親しく交わった市島の俳人、西山泊雲は、みずから「ひどい神経衰弱」に悩まされたと言うほどの青少年時代を過ごした。生来、文学志向の強かった泊雲だが、酒造場の長男として生まれた足かせに縛り付けられたからだ。

 外に向かってはばたきたくても、できない。その不自由にあえいだ泊雲は三度も家出を試み、自殺未遂事件も起こした。しかし、26歳の時、俳人の高浜虚子に知り合ったのを機に句作に没頭し、心の安定を得た。以後は家業に専念しつつ句作に励み、仕事をないがしろにすることはなかった。

 芋銭は言う。「境遇に拘泥(こうでい)して人世を短くする事はそもそも愚かなり」。境遇に左右されず、心の自由を持ち、自分の心の主人公になれと説いた。虚子に出会ってからの泊雲は、家業の後継者という境遇を前向きに引き受け、芋銭の言葉に通じる人生を歩んだ。

 そんな泊雲と芋銭が交わした書簡をまとめた本を、二人の孫にあたる西山裕三さんが発行された。二人の心の通い合いが伝わる高著である。(Y)

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