08年から勃発、1億円の匿名寄付も 市名変更論争振り返る(上)

2018.11.04
ニュース丹波篠山市市名変更問題特集

イベント時に市職員らが着る法被。「篠山市」と「丹波篠山」が並ぶ

黒大豆などの産地として知られる兵庫県篠山市の市名に旧国名の「丹波」を冠した「丹波篠山市」にするか否かを巡る「市名変更問題」。11月18日に、まちの名前を巡る全国で初めての住民投票が投開票される。2008年に始まり、最終的には「財政再建など、市名よりも優先する課題がある」として14年に収束した「第一次市名論争」。それから3年後となる17年、再び議論が再燃した。論争勃発からこれまでの流れを2回にわたってまとめた。

 

■隣接の「丹波市」誕生が発端

市名変更に関わる主な動き

「来年(09年)は、市政10周年、篠山城の築城400年の年に当たりますが、一過性の祭りにしないためにも、『丹波ささやま市』に市名変更を」

2008年6月の市議会本会議。林茂議員(当時)が一般質問で訴えた。「市名変更」が初めて議場で使われた瞬間だった。

この訴えの下地にあったのは、隣接する同県氷上郡が04年に合併して旧国名をそのまま当てた「丹波市」となり、篠山市が長年、愛称として用いてきた「丹波篠山」が、「丹波市と篠山市」あるいは、「丹波市の中の篠山」などとされる混同が広がりつつあったことだった。08年には、丹波市誕生を機に商工会青年部などが1万筆を超える署名を集め、市に対して、JR篠山口と舞鶴若狭自動車道のインターチェンジ「丹南篠山口」を「丹波篠山駅」「丹波篠山インターチェンジ」に名称変更するよう要望している。

県議時代には「丹波市」という名称に否定的な見解を示していた酒井隆明市長(当時)は変更検討に前向きで、10年、市役所職員で構成する「市名改称問題検討プロジェクト」を発足させた。しかし、変更に反対する市議会議員もおり、「生まれて間がないまちの名前を変えるのはいかがか」などの意見が出始める。

11年には、市が住民に対して行おうとした市名に関するアンケートに、市議会の会派「新青藍会」(当時)を中心に議員が反発。アンケートの実施経費を削除した補正予算修正案を可決するなど当局と対立した。

その後、14年には市民も交えた「市名を考える検討委員会」が、”第二の夕張”とまで言われた厳しい財政状況にあって、「財政再建などほかに優先する課題があり、市名を検討する時期ではない」と市に報告。以降、論争は下火となった。

 

議論白熱、1億円の匿名寄付も

市長に対して、「丹波篠山市」に変更を求める団体の代表ら。ここから第二次論争が始まった=2017年2月7日午後4時25分、兵庫県篠山市北新町で

論争収束から3年後の17年2月、篠山市商工会(圓増亮介会長)、丹波篠山観光協会(西尾和磨会長)、丹波ささやま農協(澤本辰夫組合長)が、市長と市議会議長に対し、19年の市制20周年のタイミングで「丹波篠山市」に変更を求める要望書を提出した。

主に一次論争と同様、丹波市誕生による篠山市のデメリットを訴え、以降、これまでに同様の要望書が計12団体から提出されている。

その後、要望団体などが中心となり、「市名を『丹波篠山市』にする市民の会」を結成。賛成の署名9425人分を集め、気運の醸成を図った。

しかし、市民の会発足の2カ月後には、変更に反対する住民が市名変更の議論を撤回するよう求める要望書を市長に提出。反対のグループ「市名問題駆け込み処」も立ち上がり、「市名は篠山市、愛称は丹波篠山でまちを売り出せばいい」「住所が変わることは市民の負担になる」などと訴え、再び、「論争」に発展した。

住民間でも賛否の議論が白熱し始めた17年12月、市に対して「市名変更に使って」と、匿名の人から1億円の寄付が寄せられる。

市名を理由にする巨額の寄付は話題となり、以降、「市名変更に揺れるまち」としてメディアに取り上げられるようになっていく。

 (下)

関連記事