味読

2019.04.21
丹波春秋未―コラム

 先ごろ出席した高校の入学式で、式辞を述べた校長先生が新入生に「合格が決まってから今日までに何冊の本を読みましたか」と問いかけていた。続いて挨拶した来賓の一人も「本を読んでください」と促していた。奇しくも重なった読書の勧めは、読書離れを懸念してのものに違いない。

 2017年のある調査によると、大学生の53%が1日の読書時間を「0分」と回答している。半数以上の学生がまったく本に親しんでいない。

 そんな彼らも日常的にインターネットなどを通して知識や情報を得ているだろうから、言葉の世界に存在しているとは言えるのだが、ネット上にあふれている情報を読んでも、それは基本的に「言葉にふれる」であり、「言葉を味わう」ではなかろう。「味読」というのは読書にこそふさわしい。

 いくら言葉にふれても、体内に取り入れないかぎり養分になるまい。言葉を味わい、吸収し消化してこそ血肉化され、心や頭の養分となる。読書は、それ自体が楽しい行為だからこそ親しむものだが、人間形成の上で有効な方法であることは古来変わらない。

 インターネットの登場に代表されるように技術は著しく進化した。しかし、肝心の人間は進化しているのか。そう考えるとき、読書離れが進み、味読の機会が乏しくなっているのが気にかかる。(Y)

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