2019.05.12
丹波春秋未―コラム

 元気にされていた人が不意の病で急死されることがある。最近、こうした訃報に相次いで接し、うろたえた。「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」という。いかに人の命はもろく、はかないものか。頭では理解していても、いざその事実に直面すると混乱する。亡くなられた方と知人の間柄であってもそうなのだから、ご遺族の心中は察するに余りある。

 霊長類学者の山極寿一氏は、死を意識することなく、生を全うする動物と違って、死を意識する人間は他の動物にはみられない感慨を持つという。「死者とともに、死者に助けられて生きていることを実感する」という感慨だ。

 次男が自死されたノンフィクション作家の柳田邦男氏は「一人の人間の精神的ないのちというものは、死では終わらない」という。死によって肉体的な命は終わる。しかし、精神的な命は終わらない。魂と呼ぶにふさわしい永続的な命となり、故人をとむらう家族や友人らの心の中で生き続ける。

 その魂は、生者に止むことなく語りかけてくる。そのことで「あたたかい生のエネルギーをもらうという不思議が生じる」という。

 死を意識するからこそ死を嘆くが、死者の魂と共に生きられ、死者から生のエネルギーをいただける人間。無常の世を生きる上でのせめてもの救いか。(Y)

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