武将・赤井氏の合戦場を踏査 新説盛り込む著書執筆へ 大阪の山城研究家


尾根に平坦な部分がある陣城に立つ高橋成計さん。「ここなら兵が滞在できる」とイメージを膨らませていた=兵庫県丹波市氷上町香良で

 山城に関する著書もある山城研究家の高橋成計さん(67)=大阪府=が、戦国武将の赤井氏に関する著書の執筆準備を進めている。現在の兵庫県と京都府にまたがる丹波国において、赤井・荻野軍が足立・芦田軍を破り、同県氷上郡(現・丹波市)を治めたとされる戦国時代の同郡最大規模の戦い「香良(こうら)合戦」(1555年)の舞台を2日踏査し、香良城(同市氷上町香良)の西にある陣城を図面におこした。「現地踏査を踏まえた考察を盛り込む。従来の香良合戦の解釈と違った新説も発表する」と話している。

 高橋さんは、在野の山城研究家として30年来フィールドワークをしており、25年ほど前から同県丹波篠山市の八上城も研究、郷土史家や大学教授らと共に展開した保存運動が2005年の国史跡指定に結実。八上城主の波多野氏を研究するなかで赤井氏にも興味を持ち、途切れ途切れながら25年ほど研究対象にしている。来年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公の明智光秀軍を退けた黒井城(丹波市)主の赤井(荻野)悪右衛門直正が脚光を浴びると見て、城郭から見た赤井氏をテーマに執筆することにした。

 

堀切と土橋の遺構を確認する高橋さん

「赤鬼」赤井直正が戦った「香良合戦」調査

 香良合戦は、赤井一族の台頭に危機感を持った足立、芦田氏連合軍が、丹波守護代の八木城内藤氏、京都で実権を握る三好長慶、松永長頼の援助を得て戦った。幕府管領で丹波守護職の細川家の代理戦争で、赤井氏は細川晴元側、芦田・足立一族は細川氏綱側。戦闘は丸一日続き、赤井氏が勝ち氷上郡をほぼ手中に収めたものの、赤井家長男で直正の兄、家清はこの戦が原因で死亡。直正も傷を負った。合戦は、明智光秀が黒井城を攻める20年前。直正は、香良合戦の前年の1554年に外叔父・荻野秋清を殺害して黒井城を奪った。

 高橋さんは、執筆の気分転換に氷上町香良を訪問。足立・芦田連合軍が拠点にした名所「独鈷(どっこ)の滝」近くの香良城と、荻野・赤井連合軍との戦闘が行われたと伝わる「陣道が原」(現在の香良グラウンド周辺)との距離が1・3キロほど離れている点に着目。「こんなに離れていては戦いづらい。合戦場の近くに、陣城がある」と見て、香良グラウンド近くの「下山」から山に入り、尾根づたいに30分ほど歩いたところで、堀切が2つあり土橋を認める陣城跡(南北100メートル、東西30メートル)を見つけた。香良城と「陣道が原」の中間くらいに位置する。

 香良城の西の山に遺構があることは以前から知られており、氷上文化協会が1955年に発行した「丹波志―氷上郡之部」に、「尾続き西に陣小屋の跡あり。小屋の尾という」との記述がある。高橋さんはその情報は知らず、「勘」で登った。「思った通りの所にあった。ここからなら山を下りて戦いやすい」とにっこり。「この調査も生かして、赤井時家、直正親子にまつわる城郭の話を仕上げたい」と話した。

 

赤井直正が城主だった黒井城跡

著書は来年発表、新解釈盛り込む

 高橋さんは、足立・芦田氏対赤井・荻野氏という戦の構図自体に疑問を呈しており、資料に基づく新解釈を発表する予定。来年の出版に向け版元を探している。

 高橋さんは、戦国時代の161城の縄張りや写真を掲載した「織豊系陣城事典」(2017年、戎光祥出版)の著者で、これまでに自身と仲間で測量した1000ほどの城を図面化したという。うち200弱は、自治体の遺跡地図に未掲載のもの。高橋さんによると、丹波市内には同地図未掲載の山城の遺構が20近くあるという。