「春はあけぼの」で始まり、四季それぞれの美しい光景を列記した『枕草子』。夏は夜にとどめを刺すとした。国語学者の山口仲美氏の訳によると、「夏は夜!…月のない闇夜でも、やっぱり蛍がたくさん乱れ飛んでいるのは幻想的。また、ほんの一つ、二つの蛍がかすかに光って飛んでいくのも、すごく趣がある」。

 清少納言も蛍の美しさに吸い込まれた。現代人もその感性を受け継いではいるが、現代と清少納言の時代とは決定的な違いがある。夜の深さだ。
 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』に、「古(いにし)えの人の感じでは、昼と夜とは全く異なった二つの世界だったであろう。昼の明るさと夜の暗さ、まことに何んと云う甚だしい相違であることか」とある。電気の明るさで夜の闇をはじき返している現代と違い、古の人々は昼と夜が画然と分かれた世界に生きた。

 夜の闇に飛ぶ蛍の美しさはひとしおだったろう。闇の中にさえ美を見いだし、「もののあわれ」を解する美意識をはぐくんだ。

 山間部にある丹波は、家を一歩外に出れば、街灯や自動車の光などはあるものの、眠らない都会とは違い、まだまだ夜の闇に包まれている。身近に蛍もいる。「もののあわれ」をはぐくむ土壌はまだ残っている。家でビールをあおって「夏は夜!」とご満悦になっていては、もったいない。(Y)