赤鬼」通った道整備 赤井直正ゆかりの「勝坂」 大河放映前で関心高く


倒木などで荒れた勝坂を整備する楽笑会会員たち=兵庫県丹波市氷上町絹山で

 「丹波の赤鬼」ゆかりの道を通りやすく―。兵庫県丹波市氷上町絹山の地域おこしグループ「楽笑会」(荻野晋平会長)がこのほど、戦国時代の同県氷上郡(現・丹波市)最大規模の戦いとされる「香良合戦」に勝った武将・赤井(荻野)悪右衛門直正らが居城の黒井城へと引き揚げる途中に通った「勝坂」の整備作業に汗を流した。

 「香良合戦」は、赤井一族の台頭に危機感を持った足立、芦田氏連合軍が、丹波守護代の八木城内藤氏、京都で実権を握る三好長慶、松永長頼の援助を得て戦った。幕府管領で丹波守護職の細川家の代理戦争で、赤井氏は細川晴元側、芦田・足立一族は細川氏綱側。戦闘は丸一日続き、赤井氏が勝ち氷上郡をほぼ手中に収めたものの、赤井家長男で直正の兄、家清はこの戦が原因で死亡。直正も傷を負った。のちに直正は黒井城主になり、香良合戦から約20年後、織田信長の命を受けた明智光秀軍と戦い撃退した。その勇猛ぶりから「丹波の赤鬼」と呼ばれた。

 直正は香良合戦で足立・芦田連合軍によって負傷、配下の者の背におぶさって逃げた。途中、坂に差し掛かった際、坂の名前をたずねた直正に、配下の者が「勝坂」と答えたことでこの名がついたとされる。地元住民によると、山頂まで25分ほどで、60年ほど前までは往来もあったが、今は歩く人もなくなった。直正が破った明智光秀を主人公とするNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映決定で、直正への関心の高まりを受け、地元に残る直正ゆかりの地を整備することになった。

 道をふさぐ倒木を片付けたほか、今後は、勝坂の由来などを記した看板を設置すること予定。荻野会長は「交流している都会の人を案内し、地元の歴史を紹介できれば」と話していた。