“跳ぶ”女性


 九頭竜川の河口に面した三国湊(福井県坂井市)は、かつて北前船の寄港で賑わった町。大きな米蔵がぎっしり建ち並び、多くの豪商が活躍した。明治の初めに河岸堤防の改修に招いたオランダ人技師、エッセル設計の洋館が今も丘の上にそびえ、豪商の財で造られた銀行の建物が往時を偲ばせる。井原西鶴が「北国にまれな」と称えたほどの色街も栄えていた。

 先日、同地を訪れた際、18世紀頃、最高級の遊女だった「哥川」のことを知った。茶、華、書などの諸芸に通じ、寺の住職に俳諧を学ぶ。妓楼主の許しを得て江戸に上って当代一流の俳人を訪ね、帰国後やがて自ら楼を営み、さらに剃髪して句作を続けた。加賀千代女とも交わりがあったという。「奥そこのしれぬ寒さや海の音」の句は、凛とした彼女の心情を感じさせる。

 重い桎梏を背負っていたと思われる江戸時代にも、“跳ぶ”女性はいたものだ。柏原で亡夫の千日供養を終えた後、京に上り出会った高僧、盤珪に帰依した田捨女はその走りかも知れない。九州の諸九は旅の俳諧師と駆け落ちし、やがて師匠の後を継ぐばかりか、芭蕉の足跡をたどって奥の細道まで旅した。

 「女性の俳句史は捨女から始まった」と坪内稔典氏は指摘するが、彼女らを捉えた言葉が、人生までを新たな次元に踏み入れさせたのか。(E)