磯尾柏里

2019.07.14
丹波春秋未―コラム

 柏原町の彫刻家、2代目の磯尾柏里氏が生前、こう話されたことがある。「息子は、私とはやり方が違い、こってりした仕事をする。息子の方が親父さんの職人気質を引き継いでいる」。息子とは3代目柏里、親父さんとは初代柏里のこと。

 初代は明治23年の生まれ。子供時代から彫り物の道に進むことを望んでいたが、家の事情が許さず、大工職人となる。しかし、夢を捨てきれず、妻子を抱えながら30歳代半ばで腰を据えて木彫に取り組み始める。

 師匠のいない独学。お盆や茶托なども作るが、売れない。暮らしは赤貧を洗うものだった。どうにか芽が出たのは、40歳代半ばを過ぎていた。「毎日、おかゆでいいから彫り物がしたい」とまで言っていた初代。貧しさにひるむことなく、ただ一途に彫り物に取り組んだ。

 その姿は無言の教育だったのか、長男の健一氏は2代目柏里となり、3男の寛治氏も彫刻の道に進んだ。初代は晩年、「子供たちは親よりましな仕事をしてくれることを祈っています」と語っている。作家としての一徹さは陰に隠れ、親としての赤心の情を感じる言葉だ。

 2代目をして初代の職人気質を引き継いでいると言わせた3代目の作品展が、20日から植野記念美術館で開かれる。聞けるものならば、祖父としての情のある言葉を聞いてみたい。(Y)

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