赤鬼が通った峠「勝坂」 光秀の「ライバル」赤井直正ゆかり 住民歩き思い馳せる

2019.09.19
ニュース丹波市明智光秀と丹波地域

勝坂の頂上で香良合戦の話を聞く参加者たち=2019年9月14日午前10時44分、兵庫県丹波市氷上町絹山で

戦国時代、兵庫県丹波市の黒井城主だった「丹波の赤鬼」の異名を持つ赤井(荻野)悪右衛門直正は、明智光秀と激闘を繰り広げ、光秀を敗走に追い込んだ。直正にちなむ峠で、同市氷上町絹山と同町北油良を結ぶ「勝坂」を歩く史跡ウォーキングがこのほど行われ、同町絹山の住民約20人が参加した。直正が約470年前に通ったとされる山道を歩き、歴史に思いを馳せた。

縁起の良い「戦に勝坂」

今なお石垣が残る黒井城跡

1555年(元治1)、同県丹波地域最大とされる、同市氷上町香良(こうら)地域を主戦場に行われた「香良合戦」が勃発。直正らが、同市の青垣地区と幸世地区を治めていた足立基則(岩本城主)・芦田光遠(沼村城主)を破り、氷上郡(現丹波市)全体を治めた戦。深手を負った直正が、黒井城へ戻る途中、配下の者に「ここは何という坂か」とたずねた際、「戦に勝つ坂で勝坂」と答えたと伝わっている。

時は流れ天正年間、織田信長の命を受けた光秀が、丹波国平定戦「丹波攻め」を繰り広げた。香良合戦から20年後の1575年(天正3)、丹波国に覇を唱えていた直正との戦いでは、直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。この作戦は、同県丹波篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

「川が血で赤く」苛烈極めた戦い

坂の入口に設けられた「勝坂」の案内看板

来年、光秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が放映されるのにちなみ、光秀のライバル、直正ゆかりの地が地元にあることを知ってもらおうと、同自治会の老人会「あけぼの会」(臼井八洲郎会長)、壮年グループ「絹山楽笑会」(荻野晋平会長)が顕彰活動として行った。

臼井会長が、坂の登山口に設置した「勝坂」のいわれを紹介する案内看板を披露した後、同峠を歩いた。15分ほどで、尾根が低くなった同峠の頂上に到着。氷上郷土史研究会の足立義昭会長から、「川が血でしばらく赤かった」などと、苛烈を極めた合戦の言い伝えを聞いた。

参加した男性(87)は、「戦後、父がマツタケが生えるとこの山を買ったが、出なかった。毎日草を刈り、牛ふんと混ぜて肥料にした」と懐かしがっていた。

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