シンブンガミ

2019.10.15
丹波春秋未―コラム

 歌人の石川啄木は、「朝寝して新聞読む間なかりしを負債のごとく今日も感ずる」と詠んだ。朝、新聞を開かなかったことを後ろめたく思ったというのだが、この歌に共感する人は今、どれほどいるか。周知のように新聞を購読しない無読層が増えている。

 情報源としての存在意義が低くなったことが主要因だが、新聞紙の活用の場が減ったことも一因かもしれない。脚本家の向田邦子は、新聞を三つに分けた。まずは今朝届いた新聞で、日付が変わると、新聞紙(シ)に変わる。さらに3日から1週間たつと、「シンブンガミ」になるといい、「新聞ガミほど便利なものはなかった」。

 弁当箱を包む。フライパンを拭く。習字でも、いきなり半紙に書かず新聞紙で稽古する。雨や雪の日は、丸めた新聞紙を靴の中に入れて湿り気をとる。焼き芋や油揚げを包むのも新聞紙だった。

 極めつけは畳の下に敷いた新聞紙。「大掃除のたのしみは、畳をあげた下の古い新聞を読む」ことだったと回想している。畳をあげてまでの大掃除はなくなったが、今でも古物を整理している時などに古い新聞が出てくると、整理の手を止めて、つい読みふけってしまう。

 新聞は今を伝えるが、シンブンガミは昔を思い起こさせてくれる。これも新聞の味わいだろう。あさって10月15日から新聞週間。(Y)

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