秋山徳三郎

2017年05月11日

 大阪府立狭山池博物館の「土木遺産展」を見学。琵琶湖疎水や大阪市内の橋など関西の土木史に残る遺産の展示の中に、秋山徳三郎元陸軍中将が大正8年に東大の卒業論文に書いた「天満橋改築計画」があった。▼秋山は丹波市出身。陸軍士官学校、砲工学校高等科を卒業後、東大に派遣され、満州(中国東北地区)での道路開発や、敗色濃くなった太平洋戦争下で南洋の航空基地建設にも携わった。▼分厚い書類3冊に設計上の要件、上部構造の概要、用材の仕様、工事費などが几帳面な文字でぎっしり書かれている。この論文を発掘した秋山徳三郎伝「技術中将の日米戦争」の著者、石井正紀氏は「手動の計算機のなかった時代に大型機を使ってよく計算したもの」と話す。天満橋はこの計画に沿って改築されたが、昭和10年に全く別の型に架け替えられ、論文の面影は残していない。▼写真の秋山はいかにも謹厳実直な感じだが、故郷想いの人でもあった。丹波新聞初代社長の小田嘉市郎が氷上育英会創設の寄金を求めて軍部に飛び込んだところ、初対面なのに「それは良い考えだ」と即座に応じ、高橋省三、石橋治郎八ら同郷の“出世頭”にも呼びかけて3人で7万円をポンと出してくれた。▼嘉市郎の自伝「権太くされ」が伝える話だが、昔の人は偉かった。(E)

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