自分史

2011.09.24
丹波春秋

 以前、宝くじのテレビCMを見ていて、思ったことがある。もし1億円が当たれば、家のローンを即座に返済できるし、暮らしもずいぶん余裕ができる。でも、働く意欲が失せはしまいか。それに何より、子孫は自分のことをどのように語り継ぐのだろうか、と。▼生前、仮に功績を上げることができたとしても、何代にもわたるうちに、そんな功績は忘れ去られ、「宝くじで大金を手にした人」という形容句しか残らないだろう。子孫が自分を思い出すとき、そんな形容句が真っ先に来るのは本意ではない。そう思ったとたん、宝くじのにぎやかなCMが空疎に見えてきた。▼自分は、血を分けた子孫に血以外に何を伝え、残せるのか。その一つは、自分がどのように生きたかの記録ではないか。その記録を手がかりに、子孫が自分を偲んでくれたなら望外の喜びではないか、とも思えた。▼子孫に自分の血を伝えることは、その半面で子孫は自分の血を受け入れざるを得ないということ。ならば、たとえ取るに足りない生きざまであったとしても、血を継ぐ子孫に対して自分の記録を伝えるべき責任があるのではないかとも思う。▼弊社で過日、自分史講座を開いたところ、予想を上回る多くの人に参加いただいた。29日にも開催の予定だ。よろしければ、ご参加を。(Y)

 

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