2011.10.15
丹波春秋

 日本酒のおいしい季節になった。折しも今田町で「丹波焼陶器まつり」が開かれているが、江戸時代後期、立杭の里では多種多様な徳利が作られた。燗をするために湯に入れても沈まない浮徳利、傘の形をした傘徳利などなどだ。大消費地である都市部へ、これらの徳利は送り出された。▼では当時、酒が欠かせない飲兵衛(のんべえ)が多かったかというと、そうではなさそうだ。民俗学者の柳田国男らによると、酒の飲める機会が限られていたのだ。普段に酒を飲むという風習はなく、正月や節句など、神に酒を祭る時に飲むものだったようだ。▼そういえば、私の住む集落に残る江戸時代の文書にも、「若い者が寄り集まっての飲酒や食事は禁止」とある。公儀の意向を受け、村独自に作成した定め書きにある1カ条だ。若い者にとって、酒を酌み交わしての歓談は最高の息抜きだろうに、許されなかった。▼ほかの文書にも、「年頭最初の寄合で行う宴会で、飲める酒は二献とする。そのほかの寄合については、飲み食いを一切しない」とある。新年のめでたい宴会でも、なめる程度しか飲めなかった。▼「諸事にわたって倹約に努め、ただただ農業に励め」が、藩からの指示だった。日常的に酒が飲める時代に生まれた幸せをかみしめ、今宵も晩酌を楽しみたい。(Y)

 

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