鹿の鳴き声

2011.11.17
丹波春秋

 「ひいと鳴く尻声かなし夜の鹿」(芭蕉)。俳句の世界で、鹿は秋の季語だという。オスがメスを恋うて、もの悲しい声をあげる交尾の時期が秋だかららしい。今がまさにそうだが、古く日本では鹿の鳴き声が愛された、と国語学者の金田一春彦氏は書いている。▼金田一氏の『ことばの歳時記』によると、和歌には植物をよんだものが多いが、動物は少ない。それでも鳥の類は比較的多いものの、獣となると、まれ。その中にあって、ただ一つの例外は鹿で、百人一首の中でも「奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の」と「山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」と2回も出てくるほど人気を独占している観がある、という。▼ただ愛されていたのは、鹿そのものではなく、鳴き声だった。これは、「鹿の死するや、音(ね)を択(えら)ばず」という言葉がある隣の中国でも同じだったのかもしれない。▼人間、切羽詰まれば何をしでかすかわからないという意味だが、この言葉を文字通りに解すると、「死に臨んだ鹿は、鳴き声を選ばない。普段は優美な鳴き声をあげる鹿なのに」となる。鹿の鳴き声に好意的だったことがわかる。▼しかし、当方は鹿の鳴き声にもの悲しさを感じても、愛するまでにはいかない。試みに周囲の者に聞いても、そうだ。昔と今では、人の感性が違うのだろうか。(Y)

 

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