下中弥三郎

2011.11.19
丹波春秋

 下中弥三郎らが結成した「世界平和アピール七人委員会」が、下中の没後50年を記念し、出身地の篠山で講演会などを開いた。下中の思想形成にとって、ふるさとは大きな位置を占めていたと思われる。それだけに意義のあるものだった。▼下中は、大正14年に農民自治会を結成。その標語に、協同扶助の精神を尊ぶことや、農村文化を高揚することなどを掲げた。農村を根本に据えた社会に変革する運動を進めたのだ。▼下中は、農本主義者であると同時に人道主義でもあった。しいたげられた者に対する同情と、人間に対する心優しさを持ち続けた。ために戦時中は、西欧によって長年、しいたげられてきたアジアを復興させんとして大東亜戦争の理念を積極的にうたったが、戦後は人道主義の足場から世界平和運動を推し進めた。▼幼くして父を亡くした下中は、貧しさの中にあって苦学し、汗して働いた。下中自身、しいたげられた者だったが、下中の勉学意欲にこたえてくれる人など、支えてくれる人が周囲にいた。土に根づき、助け合う暮らしがあった。そんな生い立ちが、下中の農本主義や人道主義の礎になったことは想像に難くない。▼今回の講演会などは、郷土の人たちが下中を知る機会になっただろう。下中を育んだ篠山を見直す機会にもなった。(Y)

 

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