武士道

2011.12.10
丹波春秋

 赤穂浪士、不破数右衛門にゆかりのある篠山市古市で14日、「古市義士祭」が行われる。周知のように今からおよそ300年以上前の1702(元禄15)年の12月14日は、赤穂浪士の討ち入りがあった日だ。▼この事件は当時、江戸市民を驚かせたが、その衝撃はやがて喝采へと変わったという。諸大名の間でも武士のかがみと称賛された。その背景には、武士道のゆるみがあったと、実業家の稲盛和夫氏は見る。▼元禄時代にはすでに武士道が衰え始めたからこそ、失われた武士道に対する称賛として、討ち入りがもてはやされたというわけだ(『哲学への回帰』)。この武士道。新渡戸稲造に『武士道』という名著があるが、勝海舟にかかると、「人工的に創られた道だ」と、にべもない。▼武士は、お上から禄をもらい、1日、遊んでいても食べるのに困らない。だから、書物でも読んで、忠義とか恥とか騒がなければ仕方ない。武士道が衰えたといっても、お金に困らず、気楽なことが言える身分に武士が戻れば、武士道も回復する。これが勝の考えだった。▼不破数右衛門がもし、勝の意見に接したら、憤るに違いないと思うのだが、いかがだろう。それにしても、いまだに赤穂浪士に人気があるのは、武士道が消え去ってしまったことの無念さと郷愁の表れだろうか。(Y)

 

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