「明日」

2011.12.24
丹波春秋

 「テレビには『あかるいナショナル』流れおりあああの頃の『明日』のあかるさ」(俵万智著『花咲くうた』)。日本が高度成長を突っ走っていたころの懐かしいコマーシャルソングだ。テレビ、洗濯機、冷蔵庫など、家電製品が次々と家庭に入った。▼右肩上がりの時代の「明日」は、明るかった。生活が便利になり、快適になる。それは幸福感につながった。しかし今、あの時代のように、無邪気に「明日は明るい」と信じられる人はどれほどいようか。閉塞感という言葉が定着した現代だ。明日は、幸福が約束された日ではない。▼幸福を過剰に追い求める。その姿勢の転換を求められているように思う。河合隼雄氏の指摘が示唆に富む。「仏教では『幸福』などということを考えるよりも、『安心(あんじん)』の方が大切である」(『ココロの止まり木』)。仏典の中には、幸福という言葉は出てこないという。▼幸福をつかもうと、あくせくし心を乱すよりも、心安らかに日々を過ごすことに知恵を使う。明日は、今日よりも心が穏やかになる日でありたい。▼作家の椎名麟三が書いている。「明日、それは人間のつくった言葉のなかで最高なものだ。しかしこれほど虚偽にみちた言葉はないのだが。それでもやはり明日はいい」。あと何日か明日を重ねると、新しい年になる。(Y)

 

関連記事