2012.04.19
丹波春秋

 今年の桜はひとしお待ち望まれた。いつまでも固かったつぼみが一気に開いた。▼古今あまたある桜の歌の中で、筆者が最も魅かれるのは「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。在原業平がモデルとされる「伊勢物語」の主人公は、東下りの途、行く先々で女性と巡り合うが、常に思い出すのは都に残したさる高貴な人のことだった。▼「数寄者の優男」と見なされがちな業平だが、「実は世の大勢に流されぬ侠気の人であり、その故にこそ後世、西行は共感を抱いた」と、白洲正子は「西行」(新潮文庫)で書いている。▼西行もまた桜に狂った。「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり」。花吹雪の中に、悲運のうちに早逝した待賢門院の面影を見ていたのだろうか。▼昨年4月27日、石巻市の北上川を見おろす日和山公園で、満開の桜の木々の間から、がれきと化した市街地をのぞみ見た。家も工場も流されてしまった中州の方を眺めながら、そこに自宅があったという中年の女性が「河口まで1キロ流され、また戻されて何かにつかまって助かった」知人のことを、連れの女性に話していた。彼女も身近な多くの人を失ったはずだ。淡々と、静かで低い声の語り口が今も耳もとに残っている。かの地にも間もなく、桜前線が到達するだろう。(E)

 

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