摂理

2012.04.25
丹波春秋

 先日の京都・祇園での自動車暴走事故で丹波市出身の女性が、大阪から友達と花見に行っていて巻き添えになった。3日後には黒井小学校の同窓会に出席する予定で、大変楽しみにしていたという。▼「南京玉すだれなどの芸も達者で、皆から好かれていたのに、何故そんな形で死ななければならないのか、残念で仕方がない」と、同級生は悔しがった。▼実は筆者も事故の5日前の昼、車が突っ込んだ交差点付近を歩いていた。大和大路通に面したビル内のレストランに行ったのだが、新聞の車の走路の航空写真にビルがばっちり写っていた。「神の摂理の手元がほんの少し狂っていたら…」。そう思った人はごまんといたはずだ。▼昨年、岩手の被災地に行った時タクシーの運転手から、ある化粧品会社の営業マンの捜索隊を乗せて10日間、海岸を走り回ったとの話を聞いた。営業マンは直営店の出店あいさつのため震災当日に東京本社から出張し、午後2時過ぎ、「釜石から大槌に向かう」と携帯で連絡したまま消息を絶った。▼こんな話は、ただ「運、不運」という言葉では片づけられない。またもし「運命」とか「宿命」とか言うならば、そのような結末のために彼の生は始まっていたのか。いや、そうとも思いたくない。わかるのは、我々は誠に弱く小さな存在ということのみ。(E)

 

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