平成の息子

2012.05.31
丹波春秋

 「村の方からありがたい扶助料を頂き、親子の者が空腹を感ずることなく毎日を送らせて頂き、何と御礼の申し上げようもありません。何か御恩報じと思いまするが、貧乏人の私、何することも出来ませぬ。子供が成長いたしましたら必ずこの御恩返しはいたさせます。これはほんの私の心ばかりの御恩報じのしるしです。御納め下さい」と、わら草履を十足とり出した。▼若くして夫と死別し、たくさんの子供を一人で育てている女性が、寸暇を惜しんで作ったわら草履を役場に差し出したという話。NHK「ラジオ深夜便」で「ふるさと新聞88年」の話をした際、昭和14年2月の小紙のこの記事を紹介した。▼困窮者に支援をする制度は昔もあったらしいが、受け手の感覚が今とはだいぶ違っていたようだ。先日も、お笑いの人気タレントが随分売れるようになってからも母親が受給しているのを放っておいたという話が新聞に載った。▼昭和14年の息子たちは、母から口癖のように聞かされて、きっと立派に恩返しをしたと確信するが、平成の息子は「役所から言われて自分も一部負担するようにした」ものの、「自分自身、将来どうなるか不安だったので…」と弁解した。▼衣食が足りると礼節を失うようになるのか。そんな国民が増えるならば、その先はギリシャ化である。(E)

 

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