芦田均元首相

2012.07.14
丹波春秋

 本紙6面で、芦田均元首相のお孫さんの講演内容を掲載している。それによると、芦田には革新的な体質があり、それは柏原高校時代に当時の校長の大江磯吉から受けた薫陶のたまものではないかという。▼大江について研究している元柏原高教諭の荒木謙さんも同意見だ。荒木さんの著書『大江礒吉の生涯』によると、大江の教育は「自由・平等・寛容の精神を尊び、豊かな人間性をはぐくむ」ものだったとある。そんな大江を芦田は「すごい人物だ」と思っていたようだ。▼荒木さんによると、生徒に対する大江の処分をめぐって、芦田らは処分の撤回を求めて抗議したこともあったが、大江のつくった英語弁論部に芦田は所属した。また、大江は生徒の自主性や自立心を育てるため「学友会」を創設。芦田は、学友会雑誌の編集にあたった。大江に「なまず」というあだ名を献上したのも、芦田だった。▼自由にしてアカデミックな校風を打ち立てようとした大江の姿は、芦田にまぶしく映り、10歳代の多感な心を揺さぶったのではないか。少年期の出会いの大切さを思う。▼島崎藤村の『破戒』のモデルといわれる大江だが、荒木さんは「芦田は藤村に会ったことがあるようだ。そのとき、2人は大江の話をしたかもしれない」という。もし事実なら、面白い。(Y)

 

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