村上春樹

2012.10.18
丹波春秋

 村上春樹の2004年の作「アフターダーク」は、完成度はいまひとつと思えるが、1カ所、主人公のマリが偶然に関わった中国人娼婦の美少女のことを、「友だちになりたいと強く思った」と述懐する場面が、妙に心に残る。▼その娼婦は深夜、ホテルで客に暴行され血まみれになっていた。マリはたまたま近くのファミレスにいて、ホテルの女支配人から頼まれ緊急の通訳をしただけ。なのに、「何だか彼女が私の中に住みついてしまったような気がする」という。▼このくだりを読んでいて、春樹が雑誌のインタビューで「海辺のカフカ」の主人公の15歳の少年について語っていたことを思い出した。「彼は僕とは全然違う人格だが、彼という存在の中に潜り込むことができる。それは読者にとってもすごく大事なことであってほしい。その大事なことを通じて、僕と少年と読者が結びあうことができたら、それこそすばらしいだろう。小説とはそういうものなのでは」と。▼春樹が受賞を逃したノーベル賞に中国の作家、莫言(モーイエン)氏が選ばれた。映画「紅いコーリャン」の原作者という。日中の国家間がぎくしゃくしているこの時期、文学ファン同士は、作家をはさんで結び合いたい。「文化の交換は国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ」(朝日新聞9月28日号への春樹寄稿)(E)

 

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