祭りに似て、非なるもの

2012.11.03
丹波春秋

 選挙は、祭りに似ている。祭りには「燃える」という特質があるが、選挙も「燃える」。太鼓の響き、掛け声、行進。これらの祭りの騒々しい風景は、街道を駆け巡る選挙カーや、ウグイス嬢の呼びかけなどと重なる。▼祭りに参加した人たちは、ときに陶酔状態に陥るが、選挙でも、運動員や支援者らに陶酔状態を見ることがある。選挙運動に熱くなり、燃えたがゆえの陶酔だ。選挙ではまた、いわゆる予想屋が登場する。候補者の順位や当落を予想し、まちの話題をあおる。そんな一種の熱狂ぶりが、さらに選挙を燃え立たせる。▼祭りは、非日常の特別な時空を意味する「ハレ」だが、選挙も、運動期間中のまちは、日常の景観が失われ、非日常の「ハレ」の雰囲気に包まれる。▼丹波市長選、市議選がどうも低調のようだ。告示を近くにしても、まちは燃えず、「ハレ」の空気が忍び寄る気配がない。選挙から、祭りの特質が抜け落ちてしまったのだろうか。▼それならば、それでいい。終わってしまえば、喧噪の余韻だけが残る祭りに対して、4年にわたるリーダーを生み出す選挙は、決定的に根本で異なるのだから。しかし、祭りの騒々しさや面倒くささに飽き、うんざりしたがゆえに、選挙が低調になったのだとすれば、考えものだ。選挙は祭りに似て、非なるものなのだから。(Y)

 

関連記事