晩秋

2012.11.24
丹波春秋

 晩秋となった。野山を鮮やかに彩った紅葉は色あせてしまった。我が家の近くにある川沿いの桜並木も、すっかり葉を落とした。春の光を受け、らんまんと咲き誇った光景はとうに昔日のもの。裸になった桜の木が冷たい風に震えている。春の盛りの姿と重ね合わせるとき、生あるものの滅びを思う。▼「見渡せば花ももみじもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」。哲学者の池田晶子氏はこの歌を引き、「晩秋の夕暮れに感じる寂しさとは、端的に、死の予感でしょう」と書いている(『暮らしの哲学』)。生あるものは、死から逃れられない。死とは、生の滅び。晩秋の夕暮れに、生に忍び寄る滅びの影を見る。▼「千の風になって」で有名な作詞作曲家の新井満氏は、般若心経の「色即是空」を、「万物は変化した結果、滅びる」という思想を表わしたものと読む。変化を遂げ、最後には滅びるのが万物の宿命だ。▼ただ万物は滅びるだけではない。滅びる一方で生まれもする。それを説いたのが「空即是色」とする。葉を落とした木も、季節が巡れば、また青々とした葉をつける。四季の運行にある自然は、滅びと再生を繰り返す。▼ただ人はどうか。その人自身は滅んでも再生することはない。「急がなくちゃ、残り時間はもう少ない」(池田晶子氏)。そんな焦りがかすめる晩秋である。(Y)

 

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