正月

2012.12.22
丹波春秋

 我が家にはなかった習慣だったこともあり、最近になって「陰膳(かげぜん)」という言葉を知った。辞書には「遠く離れている人の無事を祈り、留守宅の人が食事のたびに供える食膳」とある。平澤興(こう)・元京都大学総長の随筆に出てきた。▼正月や盆に、家に戻れない平澤氏のために家族は陰膳をすえた。学生時代はもちろん、郷里の越後を離れ、長い歳月がたってからも続いた。平澤氏がこの随筆を書いたのは、晩年の入口に立った頃。その時点でも、生家では正月に陰膳をすえた。▼平澤氏は若い頃、陰膳について「田舎ものがする妙な習わし」程度にしか思えなかった。しかし、年をとるにつれて「もったいなく、かたじけないこと」と思えてきたという。人格者だった平澤氏だ。そんな人物でも、人の世の真理が骨身にしみてわかるのは、相応の年数が必要ということか。▼「門松は冥土の旅の一里塚」は、一休の有名な歌。年が明けるということは、それだけ死に近づくということ。つい浮かれてしまう正月だが、この歌はそんな陽気な気分を戒める。生気に満ちた若い頃なら、心にとまらなくても、年をとると、自然と胸にしみてくる歌だ。▼アンチエイジングが言われる昨今だが、物事の奥底に通じることができるのかと思えば、年をとるのも悪くはない。(Y)

 

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