気高さと愚かさ

2013.06.29
丹波春秋

 人は愚かな存在である。自分を棚に上げ、他人を責める。他人の成功をねたむ。他人をおとしめることで、自分の優位を誇ろうとする。分別を見失って逆上する。徒党を組み、多勢を後ろ盾に常軌を踏みにじる。我が身かわいさに、保身をはかる。他人をいじめて快感、興奮を覚える者もいる。▼人は愚かであると同時に、気高い存在である。美しいものにふれて、感動する。他人が困窮している様子にいたたまれない思いを持つ。他人の悲しみを自分の悲しみとし、他人の喜びを自分の喜びとする。他人の優しさにふれ、涙を流しもする。▼私たちの生きる社会は善と悪、正と邪が入り混じり、理不尽もまかり通る混沌の世界。それと同様に、人も混沌としている。たとえば他人をあなどりもすれば、いたわりもする。同情と侮蔑、博愛と差別。対立する事項が同居しているのが人のまぎれもない姿だ。▼自分の中には、気高さと愚かさが、よりあわせた縄のようにからみあっていることを自覚したい。その上で、より気高く生きようとするか、愚かさを好むのか。そのどちらを尊ぶのが、人として救われるのかは言うまでもない。▼いじめは、人の愚かさを映し出した行為。いじめを見て見ぬふりをするのも愚かしい。愚かさと併存している気高さを傷つけず、大切にしてほしい。(Y)

 

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