明智光秀と織田信長

2013.08.28
丹波春秋

 近刊の山元泰生「明智光秀と斉藤利三」(学陽書房)は、光秀と織田信長の葛藤を軸に、利三を中心とする明智軍団の結束の物語。丹波攻めの様子も克明に描かれていて興味深かった。▼「本能寺の変は、信長の残虐さと朝廷への傍若無人ぶりに対し、我慢に我慢を重ねていた光秀がついに反旗を翻したのが真相。人格高潔な光秀が、野心にかられて裏切ったのではない」というのが著者の見方。▼春秋子もほぼ肯くが、ただ、同じく本能寺の変を扱った「信長燃ゆ」(安部龍太郎)にもある通り、信長の思考が並はずれてスケールの大きかったことも、見落としてはなるまい。▼それにしても、春秋子のかねてからの疑問は、今なお解けないでいる。あの状況下で信長は何故無防備のまま本能寺に泊まったのか。彼は光秀の忠誠を露とも疑っていなかったことになるが、相当険悪になってきていたはずの光秀との関係について、かくも鈍感だったのか。▼考えるに結局は、両者のスケールの違いによることだったのかも知れぬ。信長は乱世平定について彼独特の構想の前に、部下個人の心情まではとても気が回らなかった。光秀もまたそのスケールに思い及ばなかった。共に両者の限界であり、仮に本能寺の変がなくても、信長はやはりどこかで誰かに躓かされていたのでは、とも思えてくるのだが。(E)

 

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