市島出身の東昭吾さん 「鴨庄須恵器窯跡」調査報告書を発刊

30年の成果まとめる

2017年05月18日
市島出身の東昭吾さん 「鴨庄須恵器窯跡」調査報告書を発刊

写真・30年の成果をまとめた調査報告書と窯跡で見つけた須恵器片を手にする東昭吾さん=丹波市市島町喜多で

 奈良・平安期に須恵器の官営工房があった丹波市市島町鴨庄地区で、30年にわたり窯跡を調査した同町新道貝出身の考古学愛好家、東昭吾さん(46)=東京都荒川区=が、フィールドワークの成果を「鴨庄古窯跡群詳細調査報告書(1)」として本にまとめた。未確認だった窯跡50カ所を新たに確認したほか、遺物から、従来説より1世紀長い10世紀前半まで鴨庄で須恵器が焼かれていた証拠を見つけた研究成果を盛り込んだ。竹田小、市島中時代から調査に打ち込んだ東さんは「やっと一区切りつけた。私の調査を、次の研究に役立ててもらえれば」と話している。
 授業で古墳を学んで考古学に興味を持った小学校6年生の時に、ちょうど舞鶴自動車道の文化財調査があり、鴨庄の「南1号窯」の発掘を見学。その際に、大量に出土した須恵器片をもらい、熱が高まった。中学生になると友人と山すそを歩いて調査を開始。出土品の整理に訪れていた京都大学の学生サークルを手伝い、学びを深めた。
 山の斜面を利用し登り窯で焼く須恵器は、窯の入口付近に、「灰原」と呼ばれる、灰やひしゃげた須恵器をかき出した跡が残ることが多く、灰原を見つけ、山の斜面上部に窯跡があると見当を付け、窯の壁や焼けた土、須恵器を探した。高校を卒業後、進学、就職で地元を離れてからもたびたび帰郷し、窯跡を探して歩いた。「足を踏み入れていない所がないくらい鴨庄は何度も歩いた」と自負する。
 127㌻に及ぶ報告書は、新発見した50カ所(南5、岩戸16、上牧19、北奥10)について、それぞれ遺構と遺物の説明を掲載。パソコンを使って自身で描いた1000点以上に及ぶ、坏(つき)、甕(かめ)、皿、鉢など、採集遺物を中心に図も掲載した。
  「岩戸17号窯」では、糸で高台を切った跡が残る椀を確認。10世紀前半の技法で、これまで7世紀前半から9世紀初頭までとされていた鴨庄の窯の稼働時期を1世紀のばす発見になった。
 

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