中小企業診断士 上島益夫さん

2002.05.30
たんばのひと

苦況バネに猛烈人生 
中小企業診断士 上島益夫さん  (大阪府四条畷市在住)
 
「とにかくがむしゃらに働きました」 と過去を振り返る。 高校を卒業後、 大学受験に失敗。 本屋をしながら受験勉強をしていたが、 兄の営む木材加工業を引き継ぐことになり、 自分ですべての技術を習得した。
 四年後に結婚したが、 突然の病で二カ月後に妻が急死。 事業もうまくいかず、 会社をたたんで大阪に出て、職業を転々としながら、コンサルタント会社を経営するまでに至る話は 「波乱万丈」という言葉がぴったりする。
 大阪では、 最初に信用組合に就職した。 会社の面接で 「君は野球で捕手をやっていたそうだが、 元プロ野球選手の社員の球を受ける人がいない。 やってくれないか」 と言われて、 承諾した。 「履歴書に書いていた中学時代の野球経験がこんなところで役に立つとは思わなかった」 と言う。 その後、 調査会社、 コンサルタント会社などに勤め、 中小企業診断士の資格も取得し独立。 調査会社にいた時、 顧客の依頼で企業調査に回った経験がコンサルタントの仕事に役立った。
 コンサルタント会社を設立した当初、 車にはねられ、 病院に担ぎ込まれた。 以前から腎臓を患っていたが、 病が悪化し、 ついに透析をしなければならなくなった。 最近、 透析の詳細な記録、 透析を続けながら各地を飛び回った様子などを綴った 「透析を生きる」 を文芸社から出版した。 週に三回病院での血液透析は、 仕事に支障を来す。 月に二回程度通院し、 腹膜で透析し、 自宅で液を交換する 「CAPD」 (腹膜透析) に転換した。 「本を通じて、 腹膜透析普及の一助になれば」 と話す。
 経営していたコンサルタント会社では、 主に中小企業の経営相談を引き受けた。 「会社に入った雰囲気で、 経営状態がわかるまでになった。 社長が社員の良いところをほめれば会社はまだまだ伸びる。 何でもやるという気持ちがあれば道が開ける」 と中小企業を応援。
 現在第一線から退き、 コンピュータによるリーダーシップ診断を準備中。 「高校の同級生らが本の出版を祝って、 カンパをしてくれた。 本当に有り難い」 としみじみ。 その同級生と6月9日のクラス会での再会を楽しみにしている。
(臼井 学)
 
(うえしま・ますお) 1936年 (昭和11年) 氷上町成松生まれ。 柏原高校卒。 宅地造成会社、 コンサルタント会社の常務を勤めたあと開業。

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