毎日新聞奈良支局長 藤原規洋さん

2002.10.13
たんばのひと

震災時の報道原点に
毎日新聞奈良支局長 藤原規洋さん (奈良市在住)
 
(ふじわら・のりひろ) 1954年 (昭和29年) 篠山市味間新生まれ。 丹南中、 篠山鳳鳴高校を経て、 神戸大法学部卒業後、 79年毎日新聞に入社し、 本社地方部、 同社会部次長などを経て現職。 大学時代は応援団長。
 
 古都奈良で毎日新聞の顔として活躍している。 「主催事業や民間のイベントに顔を出す機会が多い。 人との何気ない出会いから紙面のアイデアが生まれる」と、 精かんな表情をにじませる。  24年の新聞記者生活のなかで、 一番忘れられないできごとは、 1995年1月17日の阪神淡路大震災。 ちょうど神戸支局次長 (デスク) だった。 当時、 三宮のワンルームマンションに暮らしていたが、 大きな揺れに飛び起きた。 そのときは、 そんなに大きな地震とは思わなかったという。
 元町の支局に着いたとたん、 大阪本社から 「ルポを送れ」 と催促の電話があり、 「初めて神戸の被害が一番大きいことがわかった」 と当時を振り返る。
 その後は、 連日の震災報道を指揮。 通常の支局員15人に加え、 多い時で、 全国から70人の応援が来るなどして、 連日朝刊、 夕刊に30本近い原稿を送り、 2、 3時間の睡眠時間が続いた。
 大阪府庁詰キャップ時代には93年6月の総選挙を取材。 「選挙ではより以上に客観報道が求められるが、 日本新党、 さきがけに注目が集まった時でもあり、 両党に傾斜報道をした記憶がある。 自民党から連立政権への歴史的な転換に立ち会えたのが思い出」 という。
 「神戸支局時代、 震災被災者支援の制度を紹介する記事を記者が出してきたとき、 募集要項の細かい部分を削ったところ、 『被災者はこれが知りたいんですよ』 という答えにはっとさせられた。 この経験から誰のために記事を書くのかを最優先に考えるようになった」 と話す。
 奈良の地域版で、 市民グループや企業などを応援、 紹介する企画を組む。 「読者が朝読んで、 ほっとして1日を送れるようなニュースを届けたい」 と意気込む。
 旅の企画やシューベルティアーデなどで故郷篠山を取り上げたことも。 「故郷のことはいつも頭の隅にあります。 定年前には、 篠山に帰って、 仕事場を友人、 知人の集うサロンのような場所にして故郷のための仕事ができれば」 と夢を育ませる。

(臼井 学)

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