野球ネットワーク代表 火置 昌宏 (ひおき まさひろ) さん

2004.05.13
たんばのひと

甲子園球児育てたい
野球ネットワーク代表 火置 昌宏 (ひおき まさひろ) さん (枚方市在住)
 
1964年 (昭和39年) 大阪生まれ。 三田学園高校、 関西大学経済学部卒。 日本生命で12年間大阪府下の営業部長などを歴任。
 
 将来甲子園をめざす野球少年のために今月末から野球塾をスタートさせる。 「有名選手が教える教室は、 一人一人に行き届かない」 と話し、 少人数のレッスンを中心に、 野球が楽しくなるような雰囲気づくりをめざす。
 野球を始めたのは、 川西市に住んでいた小学3年生のとき。 中学校では、 4番打者として活躍し県大会に出場した。 中学を卒業後、 父親の故郷篠山に引っ越し。 三田学園高校では投手として、 2年生の秋季県大会に準優勝して近畿大会へ。 1回戦で比叡山高校と対戦、 延長18回を一人で投げ抜いた。 「再試合で敗れました。 大会には、 兵庫県から3校が出ていましたが、 いずれも1回戦で敗退。 翌春の選抜大会を前に、 『県から一校なら、 間違いない』 という情報もありましたが、 県内からの出場はありませんでした」 と、 今でも当時の悔しかった記憶がよみがえる。 夏の大会も県予選で敗れ甲子園は夢に終わった。
 関西大学を経て、 実業団の日本生命に入社後に、 健康診断で不整脈がわかり野球を断念した。 「野球抜きの生活は考えられなかったので、 ショックでしたね」。 それから、 気持ちを切り替えて、 猛烈に働き、 27歳で大阪府下の営業部長になった。 「会社の社長さんと雑談していると、 『うちの息子が野球やっている…』 という話が結構多く、 アドバイスもしました」。 そんなことがきっかけで、 野球ともう一度かかわりたいという気持ちが募り、 同社を退社、 ベースボール・ネットワークを設立した。
 現在は関大野球部のコーチを引き受けており、 甲子園組も含め学生たちに、 ピッチングやバッティングの指導を行い、 様々な相談に乗っている。 「自分の果たせなかった甲子園に丹有地区の高校からの出場が夢」。 目下、 少年野球や中学の野球部監督を回り、 理解を求めている。 「好感をもっていただいているようです。 今後とも情報交換していきたい」。

(臼井 学)

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