書道家 藤原ひさ子 (ふじわら・ひさこ) さん

2006.08.24
たんばのひと

自由に書く自分の字
書道家 藤原ひさ子 (ふじわら・ひさこ) さん (平塚市在住)
 
1949年 (昭和24年) 丹波市山南町生まれ。 旧姓橋間。 柏原高卒。 英会話学校に勤めた後結婚。 81年に故・西谷卯木氏 (日展評議員) より師範を取得。
 
  「平凡な主婦なのに」 と謙虚だが、 リビングルームに掲げられた自作の書は、 すばらしい。
 ITの時代にも、 書道はますます盛ん。 「私たちは遺伝子が筆を持つ楽しさを記憶しているのでしょうか。 パソコンの無機質な字ではなく、 表情のある暖かい字が求められているんですね」。
 営む書道教室に通ってくる生徒は、 幼稚園児から老年までおよそ70人。 午前中は近所の主婦たちの井戸端会議、 午後は子どもたちの学童保育のようでもある。 「余裕のない世の中になってきたせいでしょう。 ここが憩いの場になっているようですよ。 私はただ話を聞くだけですが」。
 習字のほか篆刻、 表装などにも興味を持たせるようにしている。 押し付けでない、 自由な表現を大切にする。 そのためにも 「ただ字を書くだけでなく、 他の芸術を通して感性を磨かなくては」。
 子どものころから習字が大好きで、 いつまで書いていても飽きなかった。 柏原高校で三品先生の指導を受け、 全国展に入賞。 海外への憧れが強く、 「大学をあきらめるから」 と親に頼み込んで、 アメリカのケント高校への交換留学生となった。 「アメリカで日本の伝統芸術のすごさに気づき、 より一層書道への傾倒が強くなったと思います」。
 結婚後は子育てと親の介護で息つく暇もない毎日の中、 同人組織に属して勉強を続け、 教室も始めた。 夫に 「道楽だ」 と言われながら、 出費を覚悟で数々の展覧会に出展を続けたが、 次第に疑問をもつように。 「競争をあおるようなやり方ばかりで、 自由に自分の字が書けない」 と、 思い切って同人を離れた。
 今は子育てと介護から解放されたこともあり、 「毎日が楽しい。 権威なんか必要ないと分かりましたから」。 氷上町にある祖母の実家のお墓には、 紀貫之にまつわる石碑があるそうで、 「お盆に拓本をとってきました」 とにっこり。 (上 高子)

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