マッカーサーが厚木飛行場に降り立った1945年8月30日、日本で大ベストセラーになった本が80銭で発行された。「

2006.12.27
丹波春秋

マッカーサーが厚木飛行場に降り立った1945年8月30日、日本で大ベストセラーになった本が80銭で発行された。「日米会話手帳」だ。粗末な紙の小冊子だが、3カ月で400万部も出た。全人口の16人に1人が買った計算になるらしい。▼「鬼畜米英のスローガンが消えた途端に『さあ日米会話だ』というのも素晴らしい変わり身の早さ」と、半藤一利氏著の「昭和史・戦後篇」にある。変わり身が早かったのは、一般庶民ばかりではない。世論をリードする新聞も早かった。▼同書によると、作家の高見順は、戦争に負けてすぐの8月19日の日記に「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。度し難き厚顔無恥」と書いた。8月15日を境に日本はがらりと変わった。▼変わり身が早いとは、良く言えば柔軟ということ。現実の変化にさからうことなく、即応する能力にたけている。悪く言えば無節操ということ。深い信念や疑念を持たず、過去の記憶を簡単に捨てられるということだ。▼今、憲法論議をはじめ、世界情勢の変化への即応を求める声が聞かれるが、過去の記憶にどうけじめをつけるのか。それを怠れば、変わり身の早い歴史を繰り返す危険性がある。(Y)

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